どうやって”信じる”を始めるのか?

信じることを始めるってどうやるの?

そう思う人もいるかもしれません。

ですが、必ずこうしなければいけない、という決まった方法はありません。

本人にとって良い影響があり、そして周りに迷惑をかけないこと。

それがまず大切であると考えます。


既に多くの人が、様々なかたちで、色々なものを信じています。

信じる対象、信じ方、信じる方向性

実に様々な種類があります。


そうした他の人の様々な”信じる”を参考に

広く、はじめやすい、信じる方法を、まとめてみました。



”信じる”を実践する。




信じる心を育てる第一歩として

何かとても大きな存在、尊敬できる存在、感謝できる存在を心の中に設定します。


キリスト教のように信じるなら人間のような神様

神道のように信じるなら山や風などの自然あるいは自然現象

仏教のように信じるなら仏様


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自分よりはるかに大きく、敬う気持ちが持てる存在をイメージし、心に抱きます。

そしてその大きさ、温もり、偉大さを、感じてみます。

次に感謝の気持ちを抱き、感謝の言葉を抱きます。

これまで生きてこられたこと

これまで見守ってくれたこと

どんなことでもかまわないので

これまでの縁、出来事の中で感謝できることを見つけます。

そして少しの時間、感謝の気持ちを続けます。

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基本的にはそれだけです。


変に期待するのでもなく、お願いするのでもなく、ただ感謝をする。

その感謝をしている意識によって、少しづつ”信じる心”が育っていきます。

このやり方は、今まで自分が行ってきた”信じる”とは別のかたちなのかもしれません。

そんなことで信じる心が育つのか?と疑問に思うのかもしれません。


信じることは、期待すること、お願いすること、依存すること、決めつけることとは違います。

ただ穏やかに、ゆっくりと行うことができるものです。


何か自分の都合の良いことが起きるように期待することとは別の話です。

信じたのだから、私はもう大丈夫だなんて見返りを求めるものでもありません。

無理矢理に信じてドキドキしてしまうようなものでもありません。


信じることには、無理がなく、力みがなく、なんの焦りも必要ありません。

ただ安らかに、落ち着いて、感謝に満たされる、そういう穏やかな行いです。


信じる根拠は、あまりない。



「さぁ、感謝をはじめよう」

それで感謝をはじめられるのはごく一部の人なのかもしれません。

感謝をする理由がわからないのは、もっともなことかもしれません。


現代を普通に生きている私たちの感覚では

神様のおかげでうまくいっているとか

神様がいるから安心だとか

神様を怒らせないようにしよう

といった感覚はとても薄いものだと思います。


現実的でないもの、科学的根拠のないものは信頼できない

それが普通の価値観だと思います。


だからこそ、あえて信じてみることが必要なのだと思います。

そこにこそ、信じるということの価値と本質があるのだと思うのです。



現実的なこと、科学で実証されたことしか信じないということを考えてみましょう。

”現実しか当てにしていない”それはまっとうな生き方の一つかもしれません。

でもそれは、”信じている”とはちょっと違うのだと思うのです。


科学で実証されたことは、信じる必要なんてなく、それはただの事実であり、知識です。

既に事実となっていることは、信じる対象ではないのです。

ただ現実の結果として、蓄積し、活用するものです。


「この手に持っているリンゴを手から離すと落ちるんだ。そこには重力がはたらいてるんだ。」

これはもう事実であり、信じるとか信じないとかの次元にはありません。

この地球でそれを行う限り、必ず起こる現象です。

そのようなことを信じるも信じないもありません。

「いや、リンゴが落ちるなんて、重力があるなんて、私は信じない」

というのでは、ちょっとおかしな話になってしまいます。


事実や知識は、信じるものではなく、ただそこに実在し、そこにあるだけです。

それだけを頼りにしていくということは、とても現実的で、意味のあることだと思います。

ただ、それだけではちょっと寂しいと思うのです。


まだ事実かどうかはわからない。

だからこそ信じるのであって、根拠がすべて出揃うまで信じないのであれば

それは信じる必要もなくなった、ただの現実を受け取ろうとしていることと同じではないでしょうか。


まだ根拠が充分ではないからこそ、信じる。

そこに信じることの意味と価値があるのだと思うのです。

自信を得たい時にもこの考え方は重要で

完璧な自分になれるまで信じない、というのであれば

いつまでたっても自分を信じることを始められません。


信じることは、道である。



ここでもう一度このホームページの立ち位置をはっきりさせておきます。


このページでは

信じる心、信じる力を育てることが一つの目標であり

現実を否定したり、非現実的なことにはまり込むことを推奨している訳ではありません。

あくまでも現実的な生活を第一とし、その上で信じる心を育て、自分自身を活かすことをテーマとしています。

だからこそ、信じることの始め方として、”感謝をする”というシンプルな方法をとっています。

現実の生活を踏み外すことなく、地に足をつけたまま、信じる心、感謝する心を養っていきます。


(作成中)